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子育ては楽しい

義父の介護が終わりました。子育てももう終わりです。タイトルを変更かな?

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2013-08-31 (Sat)  09:47

めちゃくちゃ暑くて

おじさんの告別式、控え室は冷房が効いていたのだけど、
お寺の本堂は冷房もなくて扇風機だけ、だからもう、
全身びっしょり、終わって着替えると、裏地に白く
汗の線があちらこちらについてしまっていました。
家で洗えるポリエステル100%のワンピだったので、
汗も洗い流せてよかったよ。
で、母が池袋で迷ってしまって、我が家に着いたのは
8時近く、それから、車で出発、中仙道に出て
首都高速を見ると車は流れるようなので板橋本町から
高速に入り、中央環状線で四つ木を通り葛西ジャンクションで
湾岸に入る経由で行ってみた。
金曜日だったので混んでるかと思ったけど、葛西ジャンクションで
多少渋滞してたけどあとは順調に進み、お寺に着いたのは、
11時ごろと3時間で到着しました。
巻き寿司の詰め合わせをいただいて、12時から葬式告別式。
控え室は冷房が効いてホッとできたんだけど、お寺の本堂は
冷房などなくて、昨日の猛暑ですから扇風機だけでは
汗が噴出します。
告別式が終わると、もうお骨になっているので、そのまま
納骨となり、子供たちは笹やくだものを持たされ、私たちは
菊を1輪とお線香をお墓に供えてお参りして、終了と思ったら
今度は初七日の法要で、もう一度本堂へ。
母は足も悪いので、いとこから控え室にいていいからと
言ってもらって非難しました。
私は、もう一回お焼香して、終わると、精進落としだからと
お餅を塩をつけて一口食べる。これってはじめてだわ。
それから、もう一度お墓にお参りしてそのあと、本堂の
正面に何体も並んでるお地蔵さんにもお参りする地蔵参りを
して終わりでした。地蔵参りって初めてです。
大体、告別式でもうお骨になってるってのも初めてで。
あの、暑さなので夏の葬式はそうなのかもしれないですね。
それから、精進落としの会食会場に移動。
でも、11時過ぎに巻き寿司の詰め合わせを食べているので、
2時前でぜんぜんお腹空いてないですよ~・・・・
目の前にはお刺身、お寿司、てんぷら、とんかつ、煮物など
美味しそうなものがたくさん並んでるのに、お腹いっぱいで
ぜんぜん箸が出ないよ。つまんだのは刺身だけです。
でも、汗をかいてるので、飲み物だけはガブガブ飲みました。
車だからアルコールは飲めないし、ウーロン茶とコーラなど。
こちらでも、食事の前に各テーブルには豆腐1丁が配られて
みんなで、おたまでちぎって豆腐を食べてからじゃないと
ダメなんだって。お葬式の面白い風習を体験。
40年以上前におじいちゃんのお葬式を体験してるんだけど
こんなことしてた???覚えてないだけかな?
で、おじさんの連れ合いのおばさんは家で留守番なんだって。
終わってから、家にも寄っておばさんの顔を見てきました。
おじさんよりもひとつ年上だと言うので90歳ですが
腰は曲がってるけど、すっごい若いの。
おばさんが言うには、「3月に会いに着くれてお前らに会って
安心したんじゃないか」って、言っていたわ。
おじさんは、3月29日私たちが会ってから、旭の大きい
病院で胆肝がんで胆道にステントを入れる手術をして
黄疸が収まり良くなって一旦は退院したけど、そのあと
熱が出てまた入院してしまったそうで、最後のほうは
骨と筋だけになってしまったけど、最後の最後まで
自分でトイレに立って用を足してたそうで、目を離せなく
なってしまったそうです。
立つのやっとの状態で、抱えてトイレに行ってたそうです。
頭がしっかりしていたらオムツなんて絶対にいやだろうね。
最後は3日くらい意識のない状態が続いて亡くなったそう。
89歳だったので大往生ですよね。
私も母も3月にお墓参りに行っておじさんに会っているので
本当に良かったと思いました。
それにしても、夏のお葬式は大変だわ。
母は絶対に夏には死なないわと言っています。
だって、母はあのお墓に入るわけですから、砂地なので
足元からめちゃくちゃ暑いのです。
4時になって、岐路に着きました。
香取佐原インターに乗る前に、道の駅水の郷さわら
看板で3キロ先となっていたので、寄ってみました。
お花、お野菜や果物、お米、お酒、パン、お弁当、食堂などが
そろっていて、にぎわっています。
お店の裏には利根川沿いなので、気持ち良い空間が広がってます。
冬瓜、しそ、長ネギ、サトイモ、巨峰など買って着ました。
それから、東関東自動車道に乗って、成田空港手前で
ちょうど着陸する飛行機が目線に入る高さで、見えるし、
もう1機はもっと大きく目の前を降りていきました。
こんなに近くで着陸を見るのは初めてで母とビックリ。
春に来たときは見ることが出来なかったので、ご褒美かな?
首都高速に入ると板橋本町まで、箱崎経由も四つ木経由も
12キロ渋滞ということで、箱崎経由で帰ってきましたが
もう板橋本町までほぼ全部が渋滞していました。
それでも、途中道の駅で寄り道しても7時ごろには家に
到着しました。
家の留守番組は近所の中華の出前を取ろうと思って
電話するとご主人がやっぱりお葬式に行ってて、
届けることができないと言うんだって。
仕方なく、お弁当を買い行って食べたそうで、
とうちゃんはまだ食べてる途中でした。
残念だったね~。

暑くて、大変なお葬式でしたが、もう、行くこともないかな。
と、母と話しています。

海鹿島のおばさんも入院してるし、橋本のおばさんも入院。
結城のおじさんは頭もはげて、とってもハンサムだったのに
顔の相が変わって名前を言われないと分からなかった。
まあ、お互いに分からなくて、お開きの時間近くなって
分かって、大笑いです。
海鹿島の真知子ちゃんはぜんぜん変わってなかったな。
ただ、私が名前を忘れて話しかけられなかったのです。
上と下の兄弟の名前は分かるのになぜか真知子ちゃんの
名前が出てこなくて、本当に失礼しました。
私も白髪で化粧もしてないし、すごく変わってたと思うし、
母は太ってしまって、真知子ちゃんは綺麗だったころの
母の記憶しかないので、ぜんぜん別人に見えたと思う。
海鹿島のおばさんがとってもいい人で、矢田部の本家に
泊まれなくなってからは、一度だけ、お墓参りで
海鹿島に我が家全員で泊まったことがあったので、
家に帰ってから、海鹿島のおばさんも入院してると
とうちゃんに話すと「え?あの足の悪いひとだろう?
入院してるのか?」と覚えていました。
海鹿島も橋本もおじさんのお姉さんなので、
みんな90歳以上ですよ。
私の父が37?38?で亡くなったので、代わりに
みんな長生きしてくれていると思います。

本家の哲ちゃんも42歳で頭は白髪が多いおじさんに
なっていました。私がオムツを替えてあげたの。
おじさんからの年賀状の表書きは哲ちゃんが
パソコンで作ってくれていたそうで、もう年賀状を
作れなくなったと言っていて、お世話になりました。
進あんちゃんは心臓の手術のあと、右足がむくみが
進んで足を引きずっていました。
もともと、足が悪くて若い頃東京の病院で足の
手術をしてる人で小さいころ病院にお見舞いに
言った記憶が蘇ってきました。
今は水の取りすぎを注意してて、利尿剤を飲まないと
たいへんだそうで、次のお葬式は進あんちゃんかなと
思いました。
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最終更新日 : -0001-11-30

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